五情五欲の理
忍者は隙より入って諜報謀略を行う。そのため彼は虚点を研究する。虚には大は一国の虚、小は個人の虚というように色々な種類がある。敵国の虚の研究などということになると、当然組織法制上の欠陥をつく方策の研究までしなくてはならない。だが、組織や法制の抜け道を弁えてもそれだけでは十分ではない。なんとなれば、組織、法制を運営するのは人間であるから、人間の虚実を弁別することが一番根本的なことになる。どんな完備した組織、法律にも当然矛盾や隙はあるが、それが仮に完全であったとしても、その組織内の人間の働きには絶対に隙があるはずである。これゆえに忍者は人間の心理を研究し、五情、五欲の理という、人間操縦の基本的原理を発見し、確立した。
五情の理は、喜怒哀楽恐の五情をもって人の心を揺り動かし、致命的な虚点を作り出し、その虚点を突破口として敵を倒すことを目的としたもので、積極的な闘術である。五欲の理は、食・性・名・財・風流という、人間が本来有する五つの本能および本能的欲望をついて、その人に近付き、その心を強く捉えて人をおのれの意思のままに動かす事を主眼としている。つまり人を自在にあやつる操術である。忍者はこの二つの術を持って対人戦法の金科玉条としたのである
人を車にかける術(五情の理)
人間の心は理性(知)と感情(情)から成り立っている。この知情の関係について特徴的な事は、感情は先天的なもので、理性よりはるかに強く、理性は後天的なもので、経験知の集積であるからその活動力は感情に比して弱いということだ。心中の動きは、理性が感情に対して常に安全弁の役割を果たしているところが特徴である。先天的本能である感情は、刺激によって容易に膨張する。その一情が挑発されルト、理性も他の四情と共に、心中の片隅においやられ、一情のみが爆発的に心中に拡がる。その時、人間の心は知情のバランスを失い、失った人間は当然狂人のごとく、その情の盲目的衝動に従って行動する。
この心理現象(五情の理)が忍者のツケ目である。勝敗を争う場合、その直前に忍者は相手の感情に刺激を与える。理性の弱い者には軽い刺激で結構。知性の高い者には強い刺激を与えるのだ。するとたちまち相手の理性(感情の安全弁)は吹き飛び、その刺激に対応する感情がものすごい力で理性の抜け穴から噴出す。そのような状態の相手は狂人または赤子に等しい。それに反して、術をかけた忍者は知情の平衡を保っているから、冷静、沈着に相手に対しうる。個人だけではなく、民族、団体にもこの理は応用できる。忍者はこの術を人を車にのせる術と称した。よく口車に乗せるというが、術の名の車は、口車の車と同義である。その車には五つの種類がある。
喜車の術
お世辞、おだてあげに弱い人は我々の周囲にも沢山いる。こういう人は喜の感情の強い人であるから、おべんちゃらという刺激で容易に心の平衡を失うこういう種類の人間は非常に多いので、まことに実用価値絶大の術である。人をおだてあげて有頂天にし、秘密を吐かせるのもこの術の応用である。
怒車の術
ちょっとしたkとおで機嫌をそこなう、我の強い人には怒車の術が極めて有効である。注意しておきたいことは、怒の情といってもそれには種類があるということだ。怒情んは単なる怒情以外に妬情が含まれている。この術は解くに勝負事において独特の威力を発揮する。妬情は競争心理を含むので、人を競争させ漁夫の利を狙う場合、使って大変な利便がある。
哀車の術
涙もろい人、世話好きな人は哀情の刺激に弱い人である。正直な高潔な人ほど哀情が強い傾向がある。哀情お刺激者は不幸と薄命、貧乏と悲惨であることは言うまでもない。
楽車の術
派手な性格の人、怠け者、道楽者、こういった人は楽情を刺激されるところりと参ってしまう。享楽児には享楽をあてがえという訳である。この術の内容は、後にのべる五欲の理と似た点、重複する点があるようだが、この術の趣旨は享楽を直接闘争の手段としている点で、後述の食、性、風流の三術と異なっている。飢えて築城する兵の前で宴会を開くなどの方法がある。
恐車の術
相手が小心者、自分より程度が低い者、命を惜しむ者、そういう見通しがついたら勝負に臨んで、まず大喝一声、相手を威圧して恐怖の情を煽って相手をコチコチにしてしまう。そうすれば勝ちはこっちのものである。一度この術にかかると不思議なもので、かけられた相手は大抵一生、かけた人間に頭が上がらなくなる。頭から人を高飛車におさえて、必勝の態勢を作り上げる手、それが恐車の術だ。武道でいう先制の気合である。