蛍火の術

 この術名は、ホタルが尻に火をともして去来するように、忍者も怪文書を所持して、敵味方の間を往復する者であるという意味を表している。この術には二法がある。


○積極的に敵の内部撹乱を計る法


 忍者に密書(偽書)を持たせて、敵中に放ち、わざと敵に捕らえさせる。敵は必ず、忍者の目的とその連絡先を問うに決まっている。忍者はそこで芝居をし、わざと拷問を受け、こらえ切れなくなった偽態を示して、「実は味方の重臣Aと返り忠の連絡をとりに参った者だ、不覚にもその帰りに捕らわれたが、命さえ助けてくだされば白状する」といって相手に命の保証を取り、隠し持った偽書を示す。味方の重臣Aが敵の大将に内応を承諾して、その合図約束を了承したという意味の偽書である。偽書・偽印の術によって専門の偽造家の手にかかったものだから、直筆、真印と寸分も変わらないという巧みな偽書である。

 もし敵が用心深く、「偽書ではないか」と一応正してきた場合は、「嘘は申しません、Aの館をお探しになれば、必ずAの居間のどこかに、当方の大将からの誓紙、手紙があるはずです」と節を揃えて申し立てる。勿論、その前夜、これは本物の筆、印の揃ったA宛の怪文書を持参してAの家に忍び込み、巧妙な隠し場所を考えて、そこに隠しておく。相手は事の重大さに驚いて、急いでAを城内に呼び出し、その留守に家宅捜査を行うに決まっているが、そうすると怪文書が手に入る。

 偽書の内容にぴったりの文書だから、敵はその伏線にひっかかってAを裏切り者と断じ、直ちにその首をはねてしまう。Aとその郎党、敵の戦力の有力な一翼はこの謀計が成功すれば敵の手でこれを除く事ができる。特にAと中の悪い者が敵将内に相当数ある場合、またはAと互角に対立する有力な将が敵陣営に存在する時は、案外簡単にこの謀計は成功するのである。

 この謀計を行うのに、技術的にさらに別の方法もある。それはわざと技術が下手で気の小さい忍者に「Aは、わが方の身の虫である。従来から度々文書を往復している。味方の御大将からその将来を保証する旨の誓紙まで渡してある男だ。連絡場所は城内のこれこれの場所に、この箱を埋めることになっている。心して行け」と命令して、わざと捕らわれるような所へ潜入させるのである。この場合はその忍者がAを本当の身の虫と思い込んでいるのだから、その自白(こんな男は白状するに決まっている)には迫真力がある。したがって敵を容易に信用させる事ができるわけだ。仮間の法の変形的な応用である。


○消極的な敵陣営撹乱法


 これは、転んでもただでは起きない忍者独特のガメつい方法である。積極的に計るのでなく、万一捕まった時のことを考えて普段から偽文書と節を揃える行為を用意して、捕まった時に敵の内部撹乱を計るのである。術名とおり、忍者はいつも万一の場合に備えて、捕まらない限り使うことのない偽文書(光るもの)を襟元に隠して、敵と味方の間を去来していたのである。

 蛍火の術は、真間、仮間を問わず、最終的には忍者一人の生命を犠牲にして敵を謀ることになる。孫子ではこのように生還を期待せず、使命を果たして敵中に死なしめる忍者の使用法を「死間」と称している。