天唾の術


 この術は、敵の放った忍者を唾と化して、敵の面上に跳ね返るように仕向ける術で、孫子のいわゆる反間の術なのである。孫子は「反間ほど良き術はなし」といったが、うまく行けばこれほど楽に敵を倒せる術はない。古来から忍将の間で盛んに用いられた所以であろう。この術には次に示す表裏の二術がある。すでに久ノ一の項で述べた真間、反間両方の応用である。



○敵間を真の反間として用いる法


 敵の忍者を捕らえたら、「お前が思い切ってこちらへ寝返りをうつなら、命を助けた上に、うんと良い条件で抱えてやるぞ」と水をむける。敵の忍者がそれを承知すれば直ちに重く賞し、恩を着せて後、その者の妻子、親等人質をひそかに自国内に招き寄せさせ、誓紙を書かせて反間に使う。もしそれが成功すれば、敵は反間を自分の間であると信じ切っているから、万事計略が思うままに運び、敵の破滅を早めること、火をみるよりも明らかである。

 しかし、この反間にも後に述べる弛弓の術とか、前に述べた袋返しの術とかといった防術があるため、反間をかかえた気で袋やら弦の弛んだ弓をかかえこむことにもなりかねないので、反間には終始気を許してはならない。反間の心底を見定める監視術としては、始計術中の山彦試聴の術が有効。



○敵間を仮の反間として用いる法

 この術は、我が陣営に入り込んでいる敵の忍者を、敵間と知りながら知っていることを伏せ、何食わぬ顔をして偽情報を与え、敵に通報させて結局敵の計画を破り、その敗北を招来させる方法である。

 例えば敵の忍者が味方の城や陣中に潜入したのを見つけた時、そ知らぬ風を装ってわざと城、陣の中を見聞きさせ、裏を仕込んで偽りの形を見せるのである。兵糧の少ない時、わざと食物の残り物を溝に捨てたり、あるいは兵気が盛んであることを伏せて、内部の各陣営が反目しているような形、例えば将や兵に作り事の喧嘩をさせる・・・など、を示すのである。こういう風にすると敵の忍者は帰ってその状態をそのまま伝えるので、反間に使ったと同じ効果があるというのだ。

 また敵の間者に、わざと秘密を知る機会を与え、偽の秘密を見せて敵を謀ることもある。捉えていた敵の捕虜に、脱檻の機を与えて脱出させ、それまでに偽情報を与えておくなどということもよく用いられた方法である。