○西洋錬金術の成立
ヨーロッパで錬金術が盛んになったのは13世紀以降のことである。聖アルベルトゥス・マグヌス(科学者)や弟子の聖トマス・マクィナス(神学者)など、列聖した錬金術師もいたように13世紀の錬金術はキリスト教と両立可能な自然学で、この頃の錬金術師は幸福だった。しかし16世紀には錬金術は神秘哲学と結びつき、教会の弾圧を受けるようになった。
○パラケルスス
本名テオフラストゥス・ボンバストゥス・フォン・ホーエンハイム(1493〜1541)が活躍したのも16世紀ルネサンスの時代だった。彼は錬金術師、医師、哲学者で、彼の中でこの三者は切り離せないものだった。スイスのアインジーデルンで生まれ、ウィーンで学んだ後、フィレンツェの大学で博士号を取り、22歳から遍歴に出た。ヨーロッパ中を旅して廻り、そしてシュトラスブルグの市民権を得てバーゼル市医兼大学教授になった。歯に衣着せぬ舌鋒で当時の医学会を批判し、本来ラテン語で行われる講義をドイツ語で行うなどして教授陣の反感を買い、ついにはバーゼルにいることができず遍歴に戻り、そのままゲルツブルグで死去する。
彼は背中の曲がった小男で、敵が多かったせいか腰には常に剣を下げていた。剣の柄頭には賢者の石かエリクサーが入っていたという。パラケルススは医者として当時の水準を越えた治療を行って、多くの病人を治した。その基礎には、錬金術で作った薬効の高い薬があったとされる。そのため古代の偉大な医者ケルススを超えるという意味のパラケルススを名乗るようになった。医者に見離された胃病を治したものには100グルデン金貨を払うという依頼を受けたパラケルススは、たった一回の診療と数錠の秘薬で患者を治療した。しかしあまりに簡単に直してしまったため100グルデンは高すぎると、6グルデンしか払ってもらえなかった。
錬金術師としても、食事を御馳走になったお礼に焼き串を金に変えたなど、多くの金属を金に変えている。パラケルススは後進のために著作も行っている。『妖精の書』では地水火風の四大元素の妖精について記述している。妖精は姿形は人間に似ていて知恵もあるが、魂は無く、死ぬと消え去って骨も残らないという。他に宇宙の神秘や秘薬について書いた『アルキドクセン』、医書の『ヴォルーメン・パラミールム』、神学書の『聖餐論』、錬金術書の『ホムンクルスの書』、『物性論』など。
○錬金術と女性
錬金術の最初期、アレクサンドリアでは女性の錬金術師が多数いた。初期の錬金術は台所の片隅で台所用具を使って細々と行われていたからだ。実際、初期の錬金術の器具は台所用品そのものである。当然、そのような用具を使い慣れた女性が錬金術師となるのは当然のことだった。ユダヤ人のマリアは四世紀の人物で、ケロタキスという器具を発明した。密閉容器で、金属に蒸気を当てるための器具である。そのため、この方法は今でも「バン・マリ」と呼ばれている。
○錬金術の発展
17世紀の錬金術師は、クリスチャン・ローゼンクロイツ(1378〜1484)によって創設された薔薇十字団を中心に発展した。17世紀初頭に四つの基本文書が発表された。1614年の『全世界の普遍的かつ総体的改革』と、その付録の『薔薇十字団の伝説』、1615年の『薔薇十字団の信条』、1616年の『科学の結婚』である。薔薇十字団は古代キリスト教(十字)とルネサンス的魔術(薔薇)の統合を目指した団体で、カバラや占星術なおも含めた総合魔術団体であった。
○現代の錬金術
18世紀にはサンジェルマン伯爵やカリオストロがいた。現代でも錬金術を受け継ぐ魔術師は残っている。まず、超化学者。金属の変性を化学的に証明しようという人々である。次に神秘哲学者。フリーメーソン系の著述家がおいフリーメーソンは中世の石工組合を祖とし、なんらかの秘儀を受け継ぐとされる。現在存在するフリーメーソンは単なる慈善団体。