アジ・ダハーカ  Adi Dahhak

 イスラム教以前にイラン人たちが信じていたゾロアスター教は、世界を光明神で善と生をもたらす(1)アフラ・マズダと、悪と死をもたらす(2)アンラ・マンユの争いからなると教えている。アジ・ダハーカはこのアンラ・マンユの配下で、アフラ・マズダの創造物を全て破壊するとされた。三つの頭を持つドラゴンで、剣をはじき返すほど硬い鱗に守られ、口からは毒や炎を吐き出し、千の魔法を操り「最強の邪悪な者」とされる。残忍で執念深く悪賢く、地上に現れる時は王子や暴君の姿で現れるとされている。

 古代イランの聖典『(3)ザームヤズド・ヤシュト』で、アジ・ダハーカは善の精霊、炎の(4)アータルと争い、地上を破壊しようと暴れまわる。アジ・ダハーカを退治できるのは強い力を持つ精霊か、「光輝くクワルナフ(光輪)」を持った英雄だけだとされる。アジ・ダハーカが地上を支配すれば恐怖だけが支配する世界で苦しまなければならないので、ゾロアスター教を信じる人々は、アジ・ダハーカが地上を支配することないよう、アフラ・マズダに祈った。

 後に、イランがゾロアスター教からイスラム教に変わっても、アジ・ダハーカの恐ろしさは語り継がれる。10〜11世紀にペルシアのシジンフィルドウスィーが記した『王書(シャー・ナーメ)』には、アジ・ダハーカが王となった時代についての物語がある。かつてイランは、ジャムシードという王が治めており、彼は信仰深く、国も幸福で治世700年の間、死者もいなかった。しかしあるときからジャムシードに謙虚さが消え、自分を「造物主」と呼び、神への礼拝も忘れ、人々も彼を敬わなくなったが、彼が変わった原因はわからなかった。その頃、砂漠のハテにザッハークという王子が現れたという噂が広がった。彼は神を敬い、ドラゴンの異名をとるほど勇敢だったので、ジャムシード王の部下もみな彼に忠誠を誓った。そしてジャムシードの部下がいなくなったのを確認してから、ザッハークはジャムシードの国に戦いをいどみ、その広い国をあっさり手に入れた。

 イランの新たな王となったザッハークは、ジャムシードの美しい妹「糸杉の」シャハルナーズと「月の顔」アルナクーズを妻にし、後宮に幽閉する。そして国を建て直し、イランは再び活気を取り戻し、人々は彼を褒め称えた。ザッハークの治世は千年続いたが、その間にザッハークは少しずつ本性を現し始める。実は彼こそ悪魔アジ・ダハーカで、彼はイランを悪魔の国にするためにジャムシード王の心に悪を吹き込み、計画的に部下を奪い取った。やがてアジ・ダハーカは悪の限りを尽くし、人々は助けを求めてアラーの神に祈った。

 しかし、ついにアジ・ダハーカと闘えるだけの力を持った英雄が現れる。16歳の少年ファリードゥーンで、彼はアラーの神の加護を受け、聖なる雄牛ビルマーヤのもとで修行を積んでいた。彼はアジ・ダハーカの宮殿に忍び込み後宮に幽閉されているジャムシード姉妹に会い、助けることを約束し、アジ・ダハーカの正体と居場所を聞き出した。姉妹の言ったとおりアジ・ダハーカは暗い宮殿の奥におり、本性である毒竜の姿に戻り、口の周りを血で真っ赤に染めたまま王座で眠りこけていた。しかしファリードゥーンの気配に気がつきすぐさま起き上がり、戦いが始まった。アジ・ダハーカは黄色い毒液を吐きかけ、魔法を駆使してファリードゥーンに襲い掛かった。ファリードゥーンの剣は刃が欠け、鎧は腐っていった。まだ若いファーリドゥーンには対抗できる武器などなかったが、神の加護を受け、ボロボロの剣がアジ・ダハーカの心臓を串刺しにした。


 (1)アフラ・マズダ

 Ahuramazda。ゾロアスター教の主神で、光、光明、炎、正義を司どる。世界と人類の作物主で、後のキリスト教に大きな影響を与える。


 (2)アンラ・マンユ

 アハリマンとも呼ばれ、死、憎悪、破滅を司る。


 (3)ザームヤズド・ヤシュト

 ゾロアスター教の教典(ヤシュト)のひとつで、光輪をめぐって神々と悪魔、勇者と悪魔の戦いのさまが記されている。


 (4)炎のアータル

 拝火教と呼ばれるように炎を尊いものとしているが、その精霊であるアータルは天使や精霊の中で最も強く正しいとされる。