キリスト教聖人伝のドラゴン


 『聖書』ではドラゴンは悪魔の化身とされ、神や天使に退治される役。それは信仰心があれば神が力を貸してくれ、悪魔に打ち勝てるとされていたからである。ただい、こうした「聖人」はかつての英雄のように武器や腕力でなく、祈りをもってドラゴンを倒さなければならない。


○聖ダニエルとドラゴン Saint danniel

 『旧約聖書』のドラゴン退治で最も古いのが聖ダニエルのそれで、この話は(1)聖書外典『ベルと竜』に記されている。聖ダニエルはバビロニアの王、(2)ネブカドネザルの側近で、国民がキリスト教の神を信じず、偶像のベルや宮殿の奥に住むドラゴンを神と呼んでいる事を嫌がった。このドラゴンはバビロニア神殿に棲み、崇拝されていたので多くの肉を捧げられていた。バビロニアではドラゴンをTanninと言うが、これは海に住む巨大な蛇(ドラゴン)という意味なので、海蛇か大蛇だったと思われる。
 ダニエルはある日、キリスト教の神が本物だと証明する為、(3)ベルの像のイカサマを暴き、神殿を破壊する。そしてダニエルは、ドラゴンも偽の神だと暴くため、「剣も棒も使わず手も触れずにドラゴンを倒す」と王に言った。ダニエルはコールタールと脂肪と髪の毛を煮込んで団子を作り、ドラゴンの口に押し込め、倒した。こうして一人の人間にたやすく倒されたドラゴンは偽の神ということで、人々はキリスト教に改宗した。


 (1)聖書外典

 『旧新約聖書』のように正統な聖典とはされなかったものの、正しくキリスト教を伝えているとされたもの。


 (2)ネブカドネザル

 新バビロニア国王(在位紀元前605〜562)


 (3)ベルのイカサマ

 ベル神像は生きた神で、供物を食うといわれていたが、実際は神官たちが食べていた。



○聖ゲオルギウスのドラゴン退治 Saint Georgius

 『黄金伝説』からの聖人。『黄金伝説』はジェノバ大司教ドミニコ修道会のヤコブス・ア・ヴォラジネが13世紀に記したもので、百数十人の聖人が伝承として記録されている。聖ゲオルギウス(英・聖ジョージ)のドラゴン退治の記録は五世紀頃から見られるようになる。以下は『黄金伝説』第56章のもの。

 そのドラゴンは硬い鱗、鋭い牙、毒の息を持つ怪物で、リビアの小さな国シレナ近くの湖にいつのまにか棲みついていた。毎日シレナの城壁までやってきて生贄を求め、それが無いと毒の息を撒き散らした。シレナの王は仕方なく二匹の羊をドラゴンに与えていたが、羊が足りなくなると、くじで選んだ若者一人と羊一匹を与えるようになった。そしてとうとう、王の一人娘をドラゴンに与える事になった。
 王女が羊をひいて生贄に向かう時、カッパドキアの騎士ゲオルギウスがシレナを訪れた。彼はドラゴンを倒す事にし、湖へ向かった。湖ではまさにドラゴンが王女に迫らんとしていた時で、長槍でドラゴンを突き、ドラゴンを倒した。王女のリボンでドラゴンの首を縛ると、ドラゴンはたちまち大人しくなり、そのまま城門まで連れて行った。人々は竜を見て悲鳴をあげたが、ゲオルギウスの「主が竜退治の為に私を遣わせた。だから主を信じて洗礼を受ければ、竜を恐れる必要はない」との言葉を聴き、人々はみなキリスト教に改宗した。その後、ドラゴンを殺した。

 ゲオルギウスのドラゴン退治は中世を通じて最も好まれた題目。『黄金伝説』にこのドラゴンの姿は記されていないが、物語の内容が「タラスクス退治」に似ているのでここから影響を受けたと思われ、このドラゴンもワニだと考えられる。ワニのようなドラゴンがゲオルギウスと戦う古い図版も残っているが、見栄えを考えてか、時代につれて翼を持った蛇のようなドラゴンになり、ついに巨大なトカゲのようなドラゴンになる。




聖マルガレータとドラゴン Saint Margareta

 聖マルガレータは四世紀の女性で、飲まれたドラゴンの体から無事出てきた聖女とされる。以下は『黄金伝説』88章。

 そのドラゴンはギリシャの都市アンティオケイアに赴任していたローマの長官が牢獄に閉じ込めていたもの。このドラゴンは罪人を丸呑みにする怪物で、ギリシャでは大蛇とドラゴンが同じ「ドラコ」という言葉で表されていたことから、大蛇だったと思われる。

 聖マルガレータはアンティオケイアの(1)異教神官の娘として生まれたが、乳母がキリスト教だったので成人すると洗礼を受けてしまうため、家を追われ羊の番をして暮らしていた。ある日、ローマの長官が美しいマルガレータを連れ帰り、十字架を捨て自分の妻になるよう強要したが、拒んだため拷問を受ける。しかし信仰を捨てようとしなかったのでドラゴンの牢獄に閉じ込められる。真っ暗な中でナニモノかが近付いて来たので、マルガリータは「敵の姿を見せよ」と祈ると、ドラゴンが近付いてくるのが見えた。彼女は丸呑みにされたが生き続け、祈り続けた。するとドラゴンの腹が裂け、マルガリータは無事に出てきた。なんの武器も持たずにドラゴンを倒した彼女は魔女として拷問を受けるが、神の加護を得た彼女が傷を負うことは無く、彼女が処刑される直前に神の声が聞こえたとされ、聖女とされた。西暦306年におこった事実とされ、ドラゴンから無事に出てきたマルガリータは安産の守護聖女としてまつられるようになる。


 (1)異教神官

 この話が四世紀のローマだということを考えると、ギリシアの神々を取り込んだローマ神話の神々の神官だったと思われる。当時は貧しい民衆がキリスト教を、貴族たちがローマの神々を崇拝するという図式になっていた。



○聖シルウェステルとドラゴン Saint Silvester

 『黄金伝説』第12章では、33代教皇シルウェステル一世(314〜335)がドラゴンとそれを崇める神官を退治した話が記されている。ドラゴンは洞窟の奥深くに棲み、吐く猛毒の息で疫病がはやったドラゴンを崇めれば疫病にかからないとうそぶく神官もおり、シルウェステルは黙っておれなかった。彼はドラゴンを崇める神官を連れ洞窟に向かう。怪物の姿が見えると神官たちは震え上がったが、シルウェステルは神に祈りを捧げた。すると聖ペテロが降臨し、「ドラゴンの口をリボンでしばり洞窟の入り口を十字架の印の入った印象で封印せよ」と言われた。こうしてドラゴンは封印され、人々の疫病もおさまった。一方、神官達は洞窟の中でドラゴンの毒気を吸い込んだため、倒れ伏してしまう。



○聖マタイとドラゴン Saint Matihaeus

 十二使途の一人で、元は税金の取立人だった。マタイはイエスの死後、各地を歩いてキリスト教の布教に努めていた。彼がアフリカ東部のエチオピアでドラゴンとであった話が『黄金伝説』第134章に記されている。

 その時代、エチオピアの町では一人の魔術師が権力を持っていた。彼は常に恐ろしい二匹のドラゴンを連れていて、自分にはむかう者にけしかけていた。あまり大きなドラゴンではなかったが、口や鼻から火や燃える硫黄を噴出し、人や家を焼きつくしたので誰も魔術師に反抗できなかった。その噂を聞いたマタイは魔術師の元を訪れた。魔術師はマタイにドラゴンをけしかけたが、マタイが十字を切るとドラゴンは地面に倒れて眠り込んでしまう。魔術師がどんな魔法を使ってもドラゴンは眠り続けるばかりであった。マタイはドラゴンを目覚めさせ、立ち去るように命じた。ドラゴンは嫌がる魔術師を連れ、砂漠へ立ち去っていった。