shen


 蜃は中国に昔から伝わるドラゴンで、海岸や大河の河口などの水辺に棲んでいるとされる。あまり体は大きくなく、蛟に似た姿なのでその一種ともされる。頭には鹿のように枝分かれした角があり、長い首から背筋にそって紅色のたてがみが生えており、全身の鱗は暗い土色で、腰から後ろの鱗は全部前に向かって逆向きに生えており、足は蛟と同じく先が幅広くなっている。

 蜃が口から吐いた気の中には様々な幻が描き出される。その幻の多くは楼閣で、非常に豪華とされる。窓からは着飾った貴人達の動く影が見え、美しいとされる。しかしその幻は見る人によって違うらしく、同じ幻を何人かで見ても細部が微妙に違っていた。蜃はツバメを好み、これ以外のものは口にしなかったともいわれる。しかしツバメは素早く滅多に水に触れないため、蜃はツバメを引き寄せるためにこの幻を描くとされる。ツバメはその幻に惑わされ蜃の口に飛び込んでいく。

 この蜃の作り出す幻を人々は(1)蜃気楼(別名、海市)と呼んだ。それは今にも雨が降り出しそうなときに見られることが多かった。またそのような天候のときに、ツバメは餌を求めてあわただしく飛び回る。蜃気楼は蜃の脂肪でも作ることができるとされる。蜃の肉をしぼってしみ出す脂肪に良質なロウを混ぜてロウソクを作り、雨の降りそうな夕方を選んでそのロウソクに火をともすと、炎の中に楼閣の幻が浮かび上がる。顔を近づけると楼閣の窓から人が動きまわっているのが見えると言われる。しかしその幻は蜃の作り出した本物のそれには遠く及ばず、どこか弱弱しく、今にも消えそうなほどはかなく見えると伝えられる。

 蜃がツバメを好む理由は、ツバメの匂いが蜃を強くひきつけているとされる。そのため、蜃が棲むと言われる川や海(蜃気楼が浮かぶのでそれとわかる)を渡る前にツバメを食べることは厳禁とされる。ツバメの匂いを嗅ぎつけ、蜃が襲い掛かるといわれているからだ。また渡し場にある店は、けっしてツバメ料理を出さなかった。

 蜃気楼が滅多に見られないように、蜃もとても珍しいドラゴンとされた。なぜなら蜃が不思議な生まれ方をするからだ。蛇とキジが正月に交わると小さな卵が生まれる。その卵には雲を呼び雷を引き寄せる性質があり、雷が卵を直撃するたびに地中深く潜り込んでいく。そして地下数十メートルに達した頃、卵はとぐろを巻いた蛇のような形に変わる。そのまま200〜300年を過ごすと、卵のまわりに土がこびりついて岩のように堅くなり、地中から天へ登っていく。そして日の光を浴びると岩は崩れ始め、すっかり成長した蜃が現れる。

 こうした複雑な過程を経なければならないので、蜃は千年か万年に一度しか姿を見せない、極めて珍しいドラゴンだった。また落雷を受けず地下にもぐらなかった卵からはただのキジが生まれるので、山で飛ぶキジの何割かは蜃のなりそこないとされる。けれど、そのキジが荒れた大海に飛び込むと蜃になるという。


 (1)蜃気楼

 実際は地表の温度変化のために大気中で起きる光の異常屈折。この現象が起きると、空中や地上に何か物があるように見える。これには島浮き、逃げ水、ピンス現象(倒立現象)、側方反映現象(光の屈折面が垂直な場所での像の重なり現象)などの種類がある。また、蜃の字にはハマグリという意味もある、蜃気楼は大ハマグリの吐く息によって現れるという説もある。