ナーガ  Naga


 ナーガとい言葉は、もともとサンスクリット語の蛇、特にコブラなどの毒蛇を指す。インドで信仰される蛇神で、インド神話にもナーガ(女性形ナーギーニ)という地底に棲む毒蛇の神々が登場する。

 ナーガは鎌首を持ち上げ、喉を大きく広げて攻撃の姿勢をとったコブラの姿をしており、ときに人の上半身(もしくは首だけ)とコブラの尾が結びついた姿で現される時もある。ナーガは敵を一撃で倒す毒と、どんな傷をも癒す不死身の肉体を持っていたため、生と死の両面を司る神として崇拝された。

 ナーガの毒や神通力は、人間はもちろん半神や(1)アスラ、(2)キンナラといった精霊よりはるかに勝っていたが、天上の神々にはとうてい及ばなかった。ナーガ王カウラヴィヤの娘ウルーピーは人間の王子に結婚を強要し、子供を産んだとされる。神々や英雄と戦って負けることもあったが、大抵は神々に強力する方が多かった。

 生死の神であるナーガはインドのかなり広い地域で崇拝されており、現在でも南インドのある地方では、ナーガパンチャミーと呼ばれるコブラ供養を含めたナーガの祭りが毎年開かれる。古代インドでは人や家畜に害をなすコブラを殺すと、コブラの王であるナーガの怒りを買うと考えられていたので、ナーガをなだめる祭りは需要だった。

 ナーガは地下世界に棲むとされ、インド神話ではこの地下世界を七層に分け、その最下層にパーターラと呼ばれる無人の世界があるとする。その無人の地に、造物主カシュヤパ聖仙の妻カドルーが訪れ、地底を生命であふれさせるために蛇ナーガ達を呼び寄せた。以来、パーターラはナーガ達の住居となり、ナーガローカ(ナーガの棲まう場所)と呼ばれるようになった。

 パーターラ(ナーガローカ)でのナーガ王国は、いくつもの部族の集合で成り立っており、最年長のナーガであるシェーシャによって治められていた。各部族ごとに部族長としての王がいて、普段は部族ごとの自由な判断が認められていた。しかし一度ナーガ族全体への敵が現れると、部族ごとの敵対関係を超えて一致して戦いに挑むような行動力もある。

 パーターラでの移動はかなり自由で、ときにはパーターラを抜け出して地上に棲むことさえ認められた。そのためナーガ達はインドの神々の中でも特に人との接触が多い神族だった。地下のパーターラでナーガ達が繁栄すると地上も栄えると伝えられていたので、人々は自分の住んでいる土地の下にナーガ達が棲みつくことを希望してた。そしてもしナーガが棲み付いたら(毒蛇が増えるのでそれとわかるとされた)、祭りを行ってナーガ達を祝う事を忘れなかったと言われる。


 (1)アスラ

 Asura.インド神話の悪魔で、神々の敵とされる。しかし元々は人の崇拝を受ける神々に対して、人の崇拝を受けない神々を指していた。


 (2)キンナラ

 Kimnara。インド神話で伝えられる、神と人間の中間に位置する半神で、馬の首に人の体(またはその逆)の姿をしている。天上世界で神々をたたえる音楽を奏でているとされる。



以下に、有名なナーガ達をいくつか紹介する。


○シェーシャ Sesa

 もっとも偉大なナーガとされ、ナーガ族全体に君臨している王が、千の頭を持つというシェーシャである。シェーシャは、ナーガ達の最初の母カーリヤから生まれた最も古いナーガの一員として尊敬された。シェーシャは「世界の残存物」の意味で、時には伝説のヴァースキや、救世主アナンタと同一視されることもある。シェーシャは別命マホーラガ(偉大な蛇)とypバレ、その千の頭で世界の土台を支えているとも言われる。

 シェーシャは、あらゆる魔法の源である(4)マニ宝石を後頭部にのせているので、その首の覆いはマニドヴィーパ(マニ宝石の島)、彼の住処はマニマンダパ(マニ宝石の宮殿、別名マニビーッティ)と呼ばれた。後になるとシェーシャは、仏典の中で「偉大な蛇」マホーラガという称号を受けてマゴラカと呼ばれ、龍とは別に仏法を守る天竜八部衆のひとつとして数えられるようになる。

 シェーシャの妹マナサー(マナサーデーヴィー)は、ジャガトガウリー(世界で最も輝く女性)、ニティヤー(永遠の女性)とも呼ばれるが、ナーガの毒を消す力があったので、ヴィシャハラー(毒を中和するもの)と呼ばれた。シェーシャは、マナサーの毒を消す力を利用して、聖仙ジャラトカールと政略結婚させてしまう。聖仙達はこの結婚でナーガの毒を恐れる必要がなくなり、またシェーシャの妹を人質にとったというので、ナーガ一族に危害を加えない約束を結ぶ。これによって、ナーガ達は神々に協力し、聖仙とは姻戚となり、人には毒を持っていることでそのいずれからも攻められない存在となった。




○ヴァースキ Vasuki

 ヴァースキは大地を支えるナーガで、人間がまだ生まれていない、神々とアスラの戦いが激しかった古い時代から生きていて、すでにナーガ達の間でも伝説と化している偉大な王とされる。

 ヴァースキは神々の重要な協力者として崇められていたが、それは神話の中でもとうに古い時代のことで、後にはほとんど見当たらなくなる。それでも彼はナーガ達の正当性を示す証明となっている。

 長い戦いで消耗し力を失った神々が、アスラと協力して不死の霊薬アムリタ(Amrta)を作る為に、乳海をかきまわした。この乳海攪拌にヴァースキもかかわっていた。神々とアスラは、乳海をかき回す棒としてとがったマンダラ山を使うことにし、それにヴァースキを巻きつかせた。神々はヴァースキのシッポ、アスラは頭を持って、互いに引っ張りあいながらマンダラ山を回転させて乳海をかき回し、霊薬アムリタの精製を成功させた。しかし、その時ヴァースキがあまりの苦しさに毒を吐いてしまったため、シヴァがその毒を全て飲み込んでしまわなければもう少しで世界は毒のために死に絶えてしまうところだったと伝えている。

 また、大洪水によって世界中の全ての生物が滅び去ってしまったとき、ヴィシュヌ神の加護を受けた男だけは大きな箱舟を作り、家族とともに乗り込んで生き延びた事があった。洪水が収まると、ヴィシュヌ神はその大きな箱舟のへさきにヴァースキを結びつけ、乾いた土地まで引っ張っていった。そして新たな土地に男と家族が降り立ち、生活が始まった。彼らが現在の私達の祖先とされる。


○アナンタ竜王 Ananta

 アナンタは世界の始まりと終わりにだけ姿を見せるナーガの王で、その名前は”無限”を意味し、千の頭を持つとされる。(絵に表されるときは省略される事が多い)。

 世界の終わりには全てが失われ、何も存在しなくなる。神々も人間もナーガ一族も皆滅び去り、夜も昼もなく、乳海だけが果てしなく広がっている。その乳海に漂うことができるのは唯一絶対の存在であるヴィシュヌ神と、彼に従うアナンタ竜王だけだった。

 ヴィシュヌ神は、乳海に浮かぶアナンタ竜王の上で横たわり、アナンタ竜王はその眠りを妨げないように、千の首でヴィシュヌを追う。そのためヴィシュヌにはアナンタシャナカ(アナンタの上でまどろむ者)という称号がある。

 時間の概念も失われた中、はかりしれない時間が過ぎ、ヴィシュヌは目覚める。アナンタ竜王を従えて、再び世界の創造に着手する。

 ナーガにとって、アナンタ竜王は救世主だった。なぜなら唯一絶対の存在であるヴィシュヌ神とともに全ての時間を過ごし、世界の再生を見届けるものとしてアナンタ竜王がいるからである。たとえ世界が滅亡してもナーガ一族が再び創造される事が約束されている。そしてヴィシュヌ神が世界を創造する時、アナンタ竜王を祖として、ナーガ一族は再び繁栄するのだと考えられていたのである。



○ガルダとナーガ

 ナーガ一族と聖鳥ガルダの確執は、神々でもちょうていできないほど深いもので、両者の憎しみあいはガルダの生まれる前から始まっていた。

 ナーガ達の母カドルーとガルダの母ヴィナターは、ともにカシュヤパ聖仙の妻だった。ある日彼女達は太陽の馬車につながれた馬の尾の色について賭けをして、負けた者は勝った者の奴隷になることを誓うカドルーは黒、ヴィナターは白といい、太陽が昇るのを待った。

 日が昇り、馬の尾は黒だった。本当は白だったのだが、カドルーが息子のナーガ達をその尾に絡みつかせて、黒く見えるように細工していた。約束どおり、ヴィナターは奴隷となるのだが、彼女の息子ガルダは母を解放して自分たちを自由にする事をナーガ達に命じた。ナーガ達はその代償として天界にある霊薬アムリタを求めたので、ガルダは天界へ攻め入りアムリタを略奪してくる。こうしてガルダは母を解放させることに成功した。

 けれどガルダはナーガ達に代償として渡したアムリタが惜しくなってくる。アムリタを飲めば不死を手に入れることができるからだ。そこでガルダはアムリタを飲もうとするナーガ達に「身を清めて飲むのが正しい」と薦め、彼らが河で沐浴を始めた隙にアムリタの入った壷を持って逃げた。そして自分ひとりで飲み干してしまった。ナーガ達はアムリタをあきらめきれずに、壷の置いてあった場所を舌で一生懸命なめたといわれ、そのせいで今でも蛇の舌は二股に分かれているとされる。

 それ以来、ガルダとナーガは敵対するようになる。蛇を殺すガルダにはパンナガーシャナ(蛇殺し)、あるいはサルパーラーティ(蛇の敵)という別名が与えられ、またナーガ達はガルダ一族である鳥の巣に忍び込み、卵を飲み込むようになった。