ラミア Lamia

 ラミア(レイミア)は古代ギリシャの食人鬼で、腰から下が大蛇の美女、もしくは全身を蛇の鱗で覆った貴婦人と言われる。生息地についてはアフリカ北部の砂漠地帯だともギリシア全土を徘徊しているとも言われ、はっきりとはわからない。ラミアは夜の闇にまぎれて子供を連れ去ったり、美しい音色の口笛で若者を誘惑して、それらを生きたままむさぼり喰うとされた。犠牲者は悲鳴をあげ泣きながら許しを求めるが、小さな肉片、骨の最後の一本を噛み砕くまでラミアは無残な食事を続ける。その食欲は、彼女の名がギリシャ語の「ラミュロス lamuros (貧欲な)」から来ているという説を裏付けるようだ。(「レムレス lemuresu(死霊)」を語源とする説もある)

 しかし神話のラミアは最初から怪物ではなかった。かつての彼女は主神ゼウスの数多い恋人の1人だった。ラミアは、父がエジプト王、兄弟がリビアとエジプトの王という高貴な生まれで、美貌を持つ王女だったのでゼウスの愛人に選ばれた。しかしゼウスの本妻ヘーラーは嫉妬深く、ラミアの子供を全て殺してしまい、今後生まれる子供も全て殺すと告げた。ラミアは絶望して正気を失い、他の母親から幼い子供をさらっては食べてしまう怪物に化したといわれる。

 けれどもヘーラーの嫉妬は収まらず、眠りの神ヒュプノス(Hypnos)に、ラミアに睡眠を与えてはいけないと命じた。眠る事さえできず日夜子供を求めてさまようラミアをゼウスは哀れに思い、彼女の両目をはずすことができるようにしてやった。それは、眠る事ができないならせめて何も見ないでいられる時間を作ってやろうという、ゼウスの心づかいだった。ラミアは怪物と化してしまったが、眼をはずして闇に身をまかせている間は穏やかな表情で至福の笑みを浮かべているといわれる。その顔は子供に添い寝する母親のようで、失われた子供達を思い出しているといわれる。しかし彼女の手に握られた眼が獲物を見つけると、恐ろしい魔物の表情に戻ってしまう。

 ギリシャ時代には恐ろしい怪物とされたラミアだが、それより古いバビロニア時代のリビアには、女の頭を持つ蛇として人々から崇拝を受けていた。彼女はバビロニアの大地母神ラマシュトゥの化身とされ、豊穣と繁栄を司る女神だった。しかしその崇拝も、ギリシャの神々が勢力を増すにつれて衰退していった。実際、ギリシャ神話が記述される頃にはラミアが女神であることなどすっかり忘れられて、異教の神が悪魔とされてしまうように彼女もまた恐ろしい魔物へと堕落させられた。

 ラミア同様に、夜の闇にまぎれて人を襲う魔物はギリシャ世界には数多く伝えられている。レスボス島の、未婚のまま死んだ女の幽霊ゲローや、何にでも姿を変える青銅の足を持つ女怪エムプーサは、新生児や若者をむさぼり喰い、夜にはばたく鳥ストリックスは揺り篭の中の赤子をさらうと言われた。ラミアをふくむこれらの怪物たちは皆、子供をさらっては生きたまま食らう女の魔物で、しかもその行動も似ていることから同じ種類の魔物として考えられた。そのため、名前や性質が混乱して間違って使われたりもした。やがてこれらの夜の女怪達は、ギリシア時代も後期になるt、神話の怪物というよりも御伽噺で語られるお化けのような、はっきりとしない化物に変わっていく。

 なぜギリシアでは人を食う女の魔物が多く登場したのだろうか。ギリシア北部のテッサリアに伝わる夜の女神(1)ヘカテーを信仰する秘境では、老いた女神官達が若い男の肉をむさぼり喰い、その血と肉で若さと美しさを取り戻そうとする儀式が行われていた。また(2)デュオニソス神の女信徒バッケー達は、神を讃えるあまり儀式の最中に狂気に駆られるのが常だった。彼女達は神がかりとなって半裸で山野を駆け回り、獣を引き裂き大木を引き抜くという、通常では考えられないような力を発揮したと言われる。ときには人を襲って生き血をすすり、生肉をむさぼり喰うこともあった。このような狂気を含んだディオニソスへの信仰は、しだいにギリシャ全土へと広がっていった。(ヘカテーについては、ごく地域的なもので終わったようだ)。狂乱する女達の噂が恐ろしい食人鬼ラミアと重なって語り継がれたのかもしれない。


(1)ヘカテー Hekate

 ギリシア神話の女神で冥界の精霊。呪術などを司っているとされる。しかし本来は三叉路、十字路などといった交差する道が持つ魔法の力を司っていた。三つの体で三叉路の道の各々をながめる女性か、牝犬、牝馬、牝狼で表される。


(2) デュオニソス Dionysos

 ギリシャ神話のブドウ酒、豊穣、歓待を司る神で、ゼウスの末子。古くはたくましい体と豊かなヒゲをたくわえた男らしい姿で描かれていたが、後には女性のような体をした美青年とされるようになる。聖木はブドウ、蔦、聖獣はイルカ、蛇、虎。