妖精と魔法使い
少なくともいくつかの魔術は、妖精伝承と昔から密接な関係があった。妖精と魔術はスコットランドとイングランド北部で強くはっきりと関連づけられている。イングランドの民間伝承に登場する妖精は、スコットランドの妖精より優しくてそれほど怖くないし、田舎の人達は要請との付き合いを悪いとは考えなかった。学者やピューリタンやヨーロッパ大陸の魔術書の影響を受けている人達は、妖精を悪魔だと言って非難したが、詩人、なかでも劇作家は民間伝承を尊重し、妖精を悪魔扱いはしなかった。
イングランドにも魔女と妖精のつながりを示すものがときおり見られるが、両者の関係をあますところなく明快に語っているのは、スコットランドの魔女たちの告白である。こうした告白のおかげで妖精達との交流や妖精の丘での生活のありさまが不思議なほど生き生きと、しかも信憑性を持って私達に迫ってくる。そのため、有史時代までひそかに生き延びてきた素朴で原始的な種族を、ほとんど信じてしまいそうになる。
イングランドの魔女は自分の使い魔を悪魔と呼んでいる。イゾベル・カブディが奇妙にも自分から進んで行った告白は、ベシーの告白以上に生き生きとしている。イゾベルは妖精の丘を訪れ、そこで呪文を習ったことを詳しく説明した。妖精の雄牛の声が怖かったという。妖精の王と女王を目にしたが、女王は白いリネンと茶色と白の服で美しく着飾り、王は額の広い見目麗しい顔をしていた。妖精の少年たちは背中が丸く、細く甲高い声をしており、石の矢を作っていた。敵を射るために、悪魔が魔女たちにその矢を与えるのだ。イゾベルが悪魔と一緒に呪文を唱えると、魔女たちは姿かたちを変えた。間の徐らは邪悪な妖精で、悪い事しか教えなかった。
1623年にスコットランド中部のバース州で裁判にかけられたイザベル・ホルディンも、同じような妖精国の話をした。ただ、この妖精たちにはそれほど悪意はない。イザベルはベッドから連れ出され、空洞になっている丘に連れて行かれた。しかし、ベン・ダンロブと同じように、イザベルにも助けてくれる妖精がいた。白い髭を生やした男の妖精で、彼はイザベルを丘から連れ出し、まじないでイザベルを助け、ときおり彼女の敵に報復をしてkれた。イザベルはその妖精に教わったもの以外の魔法の知識は持ち合わせていなかった。
16世紀から17世紀にかけて行われたこうした裁判の記録の中には、スコットランドのバラードや妖精物語にあるようなきわめて詩的な信仰が見つかる。またこれらの記録から、ロバート・カークがいかに正確に妖精伝承を採録したかがわかる。
17世紀初めのラトランドシャー(イングランド中東部の旧州。1974年にレスターシャーの一部となる)には、魔女のために悪魔や使い魔の代わりをさせる妖精の話が伝わっている。この話はイングランドの魔女裁判によく見られる傾向とは異なっている。イングランドではペット人気のためか、使い魔のほとんどが愛玩動物の形をとっている。ラトランドシャーでは悪魔や神が人間の姿で現れることもなく、使い魔は妖精にしろ悪魔にしろ、完全に超自然的存在だと信じられていた。以下はマーガレットとフィリップ・フラワーに関する裁判記録からの抜粋である。
検察官が言うには、ジョアンにはプリティと呼ぶ精霊がいる。ラトランドシャーのラングホウルムに住むウィリアム・ベリーからもらった精霊で、三年間彼女に仕えた。精霊をもらうとき、役に立つ妖精を吹き込んでやるから口を開けろ、とベリーに言われたので、口を開けて吹き込んでもらった。すると、すぐに精霊が口の中から現れ、女性の姿で地上に立った。精霊はジョアンの魂が欲しいと言い、ベリーもあげろといったのでジョアンはあげると約束した。
この事件では、魂を与えると約束したためか、使い魔が悪魔ではなく妖精だとする申し開きにもかかわらず、ジョアン・ウィリモットの罪を軽くしてやろうという恩情はまったくとられなかったようだ。しかし、一般には妖精との付き合いは比較的罪のないものとしてみなされていたようである。妖精の女王から特別の好意を受けたとの主張は、魔術ではなく詐欺として裁かれた。ジョン・ウェストとその妻アリスは詐欺罪でさらし台にかけられただけで、アリスは魔女として処刑はされなかった。主な原因は教養ある人々が妖精の存在を疑っていたからかもしれない。
妖精詐欺についてはあまりに話が多すぎるので、ほんの少しだけ載せておく。
さらに信じ込ませるために、2人はトマス・ムーアを地下室に連れて行き、妖精の王や女王、小さなエルフ、ゴブリンに扮した人たちを見せた。そして、そこには「これはトマス・ムーアに贈る」とか「これはその妻に贈る」と書いた袋を山ほど置いておいたが、トマス・ムーアには手を触れさせなかった。そのため、疑いかけていたムーアはまたその気になった。
ジョンとアリスは妖精を使ってぼろ儲けをした。パンフレットには他にも2人の詐欺の手口がいくつか書かれている。どちらが先に死ぬかを知ろうとしたある夫婦を騙した話。お金とナプキンを小道具にしたり、妖精の王と女王の話をして、呪文で霊を呼び出すと騙した話。船乗りの夫がいつ戻るかと聞いた妻を騙した話。メイドが騙され、裸で膝に土をいっぱいのせて一晩中庭に座っていたという話もある。メイドはその土が黄金に変わると信じていた。
ほかにも、妖精が通り過ぎる時は(妖精は人に見られるのをひどく嫌うため)目隠しをするのが正式とされた。各種妖精を呼び出す準備(酢を焚く、断食する)のあと、目隠しをしたダパーを取囲み、妖精の声をまねしてまわりをまわり、ダパーが全財産を放り投げるまで続ける、とされた。完全な詐欺である。
学者達は無知な人々のだまされやすさを軽蔑したいたが、学者たちが書いた本を見ると、彼らもまた同じような信仰を持っていたことがわかる。白魔術や衰退した占星術、錬金術の秘宝だけでなく、天使や悪魔、地水火風の四大精霊、幽霊、異教の神々を呼び出す呪文を見てもあきらかだ。そのいい例が、大英博物館所蔵の写本の中に収められている。反抗的な精霊を支配する呪文である。
汝、もっとも兄弟なる王子ラダマンテュスよ、果てしなき混乱という汝の獄において服従せざる地獄の悪魔どもを留め置く者よ、また、恐るべき絶望のうちに死に行く人間の陰惨な幽霊どもを罰する者よ、ルシファー、ベルゼバブ、サタナス、ジャコニルの名にかけて、彼らの力にかけ、汝が彼らに抱く敬意にかけて。我はまた汝に命ず。ケルベロスの頭に頂いた三重宝冠にかけて。ステュクス河(ギリシャ神話の黄泉の河)とプレゲトン河(ギリシャ神話の冥界の河)にかけ、汝の仲間であり手下である悪魔バランターの名にかけて。この反抗的な<名前>を苦しめ、罰せよ。<名前>が我が前に姿を現し、、我がいかなることを命じ要求しようとも、我が意思と命令に従わせんがために、なされるべし、なされるべし、なされるべし。
イギリスの古美術収集家イライアス・アシュモール(1617〜92)は、オカルトや魔術に関する資料とともに妖精を呼び出すための呪文も収集している。アシュモールはまた、目につける軟膏の作り方も残しているが、これはおそらく妖精が自分の子供に使う軟膏と同じものだろう。材料は魔女の軟膏とちがって害がなく、主に妖精がよく行く丘の中腹から採って来たジャコウソウ(シソ科でつる状の多年草)の葉の部分を使う。
魔術に関する手稿は16世紀から17世紀にかけて英国全土に散らばっていたに違いなく、全てを把握するのは難しい。しかし、当時魔術が深く浸透していたことは1847年の『ノーフォーク地方の考古学』誌に引用されている古い手紙からはっきりわかる。この手紙は、現代には見られなくなった魔術やペテンの背景を非常に詳しく記している。
怠け者の修道士であり、出来の悪い魔術師だったウィリアム・ステイプルトンはトマス・クロムウェルに異端の嫌疑を晴らすために釈明するように求められ、長く巧みな手紙を書いて弁明したが、その中でレジンガムの教区司祭が一冊の書物と道具を使い、アンドリュー・マルカスとインキュバスとオベリオンという三つの精霊を呼び出した次第を書いている。オベリオンが口を利くことを拒むと、アンドリュー・マルカスがオベリオンはウルジー枢機卿だけに仕えているから話をしないのだと説明した。こんな風に魔術師が精霊を縛ることはよくある事だった。
こうした精霊は「透視の石」つまり水晶に現れる。そのせいもあって、エリザベス朝の妖精は小さいのかもしれない。たとえば、ヘンリー8世の治世12年目に、カーブン卿の召使アミリオンは、財宝を探す許可をもらった。彼はどのようにして財宝を探すかを明らかにしている。それにはまず、精霊を支配する力を得ることが必要だったようだ。精霊は財宝の隠し場所を知っている上に、超自然の力を持つ見張りが財宝を守っている場合、それに対処する方法を教えてくれるからである。
前述ノアミリオンがまた言うには、自分はロバート・クロウマー卿が透視の石には精霊を呼び出そうとしたとき、ソーンダーズにいたが、石には何も現れなかった。しかし、ジョージ・ダウジングは鏡に1インチくらいの小さなものを呼び出した。それが精霊か影かはわからなかったが、ジョージは精霊だと言った。
現存する魔法の本の中で、特別興味深い事が書かれているのは、オックスフォード大学のボドレー図書館所蔵のものである。これは17世紀初めの小さなベラム革製の手書き本で、実に様々な呪文や話がおさめられている。この本には、円を作ったり、魔術師の道具を聖別したりするための色々な指示が載っている。愛の実験法や、財宝を見つけたり、魔法を解いたり、どろぼうを発見したりする方法、眠った女性に自分のした事を言わせる方法、精霊の名前、そして魔術師がよくやる取引の数々が載っている。
しかし、中には民間伝承に基づく方法も1,2ある。特にその一つは全文を引用する価値があるので以下に載せる。この方法の直前に「水晶にオベリオンを呼び出す」というくだりがあるが、これはこの類の本によく見られるやり方だ。しかし「妖精に対する真に正しい実験」として、さまざまな言葉を交えて説明されている実験は、それ自体がまさに民間伝承そのものである。
新月の前夜、または新月の夜か、新月の夜の次ぎの夜、あるいは満月の前夜、または満月の夜か、満月の夜の次ぎの夜に(妖精は新月と満月のときに最も活動する)、妖精の乙女が出没する家に行き、きれいなバケツか手桶にきれいな水を汲み、それを煙突の側か火の側に、きれいな新しいタオルかきれいに洗ってあるタオルと一緒に置いておき、朝までその家から離れていなさい。そして日の出前に誰よりも早く、水の入ったバケツを取りにいき、それを明かりの側に持っていくと、水の上に生乳か脂肪のように白い霜が浮いているから、それを銀のスプーンですくい、きれいな受け皿に入れなさい。
そして次の夜、11時前に同じ家にもう一度行き、香りの良い薪で火を焚き、テーブルに新しいタオルかきれいに洗ったタオルをかけ、そこに新しいサヤエンドウを三つと白い板の新しいナイフを三本と、新しいエールを満たした新しいカップを一つ用意したら、テーブルのほうを向いて暖炉のそばの椅子に座り、前述のクリームまたはオイルを目に塗りなさい。すると、三人の妖精の乙女がやってきて通り過ぎながら貴方におじぎをするだろうから、貴方も同じように妖精におじぎをしなさい。ただしそのときに何も言ってはならない。先頭の妖精は非常にたちが悪いので、何があっても黙ってやりすごしなあい。しかしその後は二番目でも三番目でも、気に入ったほうの妖精に手を伸ばして自分の方へ引き寄せ、願いをかなえてもらうために、翌朝彼女がいつどこで会ってくれるか、二言三言で聞きなさい。
妖精が時間と場所を言ったら、彼女が立ち去り、約束の時間まで仲間のところへ行くのを許しなさい。ただし、約束の時間と場所はきちんと守りなさい。彼女と話しているあいだ、他の妖精たちはテーブルにつき、用意したごちそうを食べてから立ち去るだろう。妖精たちはおじぎをするので、貴方は何も言わずにおじぎをし、静かに彼女らを立ち去らせなさい。そして、約束の時間になったら、例の妖精の乙女が1人でやってくるので、自分の思っていることを言いなさい。それから、目的にかなった取引を彼女と交わしなさい。そうすれば、彼女はずっとそばにいて、間違いなく契約どおりのことをしてくれるだろう。
妖精を呼ぶための準備は、13世紀のフランスの吟遊詩人アダム・ド・ラ・アル作『アダム劇』の中の、おじぎをする妖精に会うための用意とほとんど同じで、白い柄のナイフまでそっくりである。そして、ホヴェットの『パンダモニアム』(大混乱、悪魔の巣窟、地獄、などの意味)の逸話に登場する、未来の夫を見るための用意にも非常によく似ている。しかし何よりも示唆に富むのは、妖精の軟膏を手に入れる方法だ。2日目の夜の用意は妖精の乙女だけのためだが、最初の夜には妖精の母親もいて、用意された水で子供たちを洗っていたに違いない。水の上に浮かんだ霜のようなものは妖精の産婆やゼノア村のチェリーが子供の目に塗る妖精の軟膏だ。