幻の水面 ショートストーリー劇場「夢中の鬼」

作:ねこさん




第一乃章 将軍夢中にて鬼が出るのこと



 アマウラ(天浦)城内、将軍との謁見の間にて一人の侍が土下座をしたままぴくりともに動かずにいた。
 暫くして障子が開けられたかと思うと、畳を踏む足音がしてくる。侍は頭を下げていたままなので、目の前に座った者の足しか見えない。だが、その足を包む足袋も袴も高貴な者のみが着れる物なのがわかっていた。
「悪五郎太。面をあげい」
 侍は己の名を呼びかけられる。その声は目の前の貴人のものではない。その傍らに厳しい表情で座っている男からだった。いま部屋には三人しかいない。
 悪五郎太──「悪」はいわゆるワル、を意味するのではない。この時代には「強い」を意味する言葉だ。その為、武士の名に付けられることの多い漢字である。
悪五郎太も十四の元服の時に自らその名をつけ、そしてその名に恥じぬように剣の腕を磨き続けてきた。
 結果、幕府でも有数の使い手になったと自負している。まだ二十代の若さで将軍の剣術指南役の一人に抜擢される程度には世間からも評価されている。
 頭をあげた悪五郎太は、目の前の若者と視線があった。目を見つめるのは不敬ゆえに視線をやや下へと落とす。その様子が可笑しかったのか、若者は口元にうっすらと笑みを浮かべた。若者は悪五郎太の主君であった。
 相原秀平、というのがその若者の名である。この米都州島の東部を領する相原幕府の六代将軍という地位にある。野武士団を率いていた祖先がいささか怪しげに僭称していたその地位も、もはや若者の代ともなるとれっきとした公称として定着している。トキノミヤコの本国の朝廷も、遠隔地での政府として公認していた。
 将軍の横に控えていた男──幕府管領大内大膳が悪五郎太に向けて語りかけてくる。トキノミヤコの作法として、貴人である将軍が下々の者へ自ら話すことはない。
「五郎太、そのほうに上様が命じることがある」
「ハッ」
 悪五郎太は頭をさげる。管領大内氏といえば、幕府の重鎮であり、現将軍が政務に出ることが滅多にないこの国では、他の有力大名達と合議しながら実質的に幕府を動かしている男でもある。
 また、幕府六郡のうちの西方「美郡」を支配する大領主でもあった。地理的に諸外国とは最前線で戦うこともあり、歴代の大名当主は文武両道の者が多い。大膳もまた、幾多の武勲をあげており、ヴェイトス市軍やクリスティア王国軍、ティアン軍のいずれからも怖れられ、憎まれ、尊敬されている男であった。
 現在四十三歳。油の乗りたぎった男である。浅黒い肌にもみ上げをした偉丈夫であり、胸にはかつて戦場でクリスティア騎士団長マクセンティウスから受けた傷が残っている。
「今宵、そなたを呼んだのはほかでもない。上様のお悩み事を晴らしてもらいたいのだ」
「お悩み事、と申しますと?」
「それは──」
「余の夢のことだ」
 将軍がいきなり語り出したので、悪五郎太は驚きの表情を浮かべた。だがすぐに、それが独り言の形式を借りた直接の依頼であることに気づく。トキノミヤコの武家作法もなかなかややこしいものがあった。
「近頃、余の夢の中に鬼がよく出てくるのじゃ。そのたびに余は必死になって逃げるのだが、つい追いつかれてしまい、身体を食われてしまう。それがほぼ毎日になっておる」
「もしや、夢の鬼を退治せよ、というご依頼でございまするか?」
「はて、悪五郎太ならば、それだけの胆力があるはず」まだ将軍は独り言の形式をしながら答える。「陰陽師や密教僧、さらに忍びの者を集めておる。これだけ揃えば、余の夢の鬼も退けられよう。な?」
「はっ。間違いなく」大膳が続ける。
「…………」
 悪五郎太は黙って頭を下げた。無論、引き受けるつもりである。武士である以上、ほかに道はない。
 だが内心では馬鹿馬鹿しさにうんざりしていた。
(また上様のお遊びであろうか。まったく、もののふたる者、夢に惑うなど、さような弱気でどうするというのだ──)
 相原秀平という青年を、悪五郎太は歯がゆく感じることがあった。本来なら将軍の位を継ぐはずのない若者──先代と兄達がはやり病で急死し、やむなく後を継いだにすぎない。最初から政務に精勤する気持ちなどない。
 今、幕府が維持されているのも、横にいる大膳の力によってと言っても過言ではない。
(そのうち、大内幕府となるのも時間の問題かのう)
 と内心で呟いた時、背後の障子が開く音がした。すたすたと誰かが歩いてくる足音がする。
「上様、御呼びにつき参上つかまつりました」
 野太い声がすぐ横にする。悪五郎太は横を眺めたい気持ちをぐっと堪えていた。
「ふむ。甚八。例の任務は無事に果たしたようだな。こちらの男が悪五郎太だ」
 大膳が告げる。ようやく横の男を見ても不敬とはなるまいと踏んで、悪五郎太は振り向く。
 そこには五尺ほどの小人の男がちょこんと座っていた。皺だらけの顔ゆえに年齢は測りづらいが四十より下ということはないだろう。武家ではなく虚無僧姿をしている。しかし髪は剃っておらず、庄屋髷にしていた。身のこなしは軽そうであった。
「へえ、お前さんがあの悪五郎太さんかい」
「そなたは?」
「御庭番衆、下忍の甚八と覚えておいてくだされ」
 御庭番、か。
 幕府が飼っている忍者どもの総称である。しかし、目の前の男はどうにも頼りようがなさそうである。
 自分の考えが顔に出ていたのだろうか。甚八はクックッと笑った。悪五郎太は羞恥に顔を赤くすると視線を逸らした。
「あと、トキノミヤコより参った陰陽師の土御門晴高殿と上様の加持僧の慈啓殿がおる。この四人で上様の寝所を守ってもらいたい」
 大内大膳が告げると、悪五郎太は頭を床へとつけて再び土下座する。横の甚八もそれに倣う。
(まあいい……一日二日、上様の寝所で番をすればいいだけだろう)
 そう考えていた悪五郎太であった。
 だがすぐに、その甘い考えは最悪の形で裏切られることとなった。



第二乃章 赤鬼、夢より現れ人を食うの話



 その夜──
 アマウラ城将軍寝所の控えの部屋に四人の男たちが集った。
 一人は、悪五郎太。鎧兜を身につけ、幕府秘伝の鬼斬りの太刀を腰に差す。
 一人は、下忍甚八。柿色の忍び装束の下に鎖帷子をつけ、背中には忍刀。棒手裏剣を胸に抱く。
 一人は、土御門晴高。黒い陰陽師の官服に片手には羅盤。もう片手には人形(ひとがた)に切った紙を握る。
 一人は、僧慈啓。その掘りの深い顔立ちには厳しい修行を積んだ者のみが得る険しさがある。黒染めの衣に両手には数珠を持つ。

 すでに時刻は深夜にいたっている。静まり返った部屋の中は、ひんやりと涼しい。

「上様の様子はいかがであろうか?」
 沈黙に耐え切れずに悪五郎太が横にいた陰陽師に尋ねる。
「静かにいたせ。五郎太殿」慈啓が苦笑を零す。「まだ夜も始まったばかり。上様が夢を見るのは、これからぞ」
 さすがに僧として修行を重ねてきただけに、この場に挑んでも平常心を維持している。
「星を見るに」土御門が言う。「おそらく鬼が出るのは、今日、という卦が出ました。天暦地相を計ると、今宵のこの場、五行では火。おそらく赤き鬼が」
 そう言ったときである。
 ごとり、と将軍の寝所のほうから音がした。
 四人全員の顔が緊張で強張る。
「いまの音は」
 そう悪五郎太が言ったときだ。咄嗟に甚八が地面を蹴ると、すすっと音もなく襖へと近づき、両手で素早く開いた。
 すると──
 将軍がばたばたと布団の上で左右に激しく暴れているではないか。顔からは滝のように汗が流れ、白い寝間着を濡らしている。
「うっ、上様っ」
 忍びの男が驚愕の悲鳴をあげたとき、悪五郎太は将軍の頭から白い霧のようなものが浮かび上がってくるのが見えた。
 それは空中で女の姿を取るようになっていく。まだ若い女だ。二十歳ほどだろうか。白い衣を着ている。長い黒髪の女。
「面妖な輩めッ。貴様が上様を悩ましているのかッ!!」
 そのような怪を見ようとも、武士である悪五郎太は心惑うことはなかった。腰の刀を引き抜くと両手で握り、エイッと裂ぱくの気合とともに振り下ろす。
 その斬撃はさすがに剣法指南役たる隙のない堂々としたものであった。右上から斬りおとし、怪を斬り捨てた──かに見えた。
 だが、スッと気配が消え、刀は宙を斬るのみであった。
「なにっ!?」
 確かに斬った、と思った悪五郎太は暫し愕然とした。
「それは、まやかしでございます。五郎太殿」
 土御門晴高が静かに唱える。悪五郎太は陰陽師のほうへと振り向いた。
 と──
「うぉっ!?」
 土御門が叫び声をあげる。ばたばたと両手を己の首に当てている。じわりと首筋に青い手の跡ができていく。
(己の首を絞めているのか!? いや、ちがうッ!)
 それが必死になって己に食らいつく見えない手を振りほどこうとしていることに気づく。
「土御門どのっ!?」
 甚八が叫んだとき、陰陽師の首がごきっという音とともにへし折られる。折れた首から鮮血が噴水のように溢れてきた。
「ええいっ。見えない鬼だというのかっ」
 そのときである。僧慈啓がおもむろに数珠を結んだ両手を合唱させると、スートリアの法の華経典を唱えだしたのだった。
「如来法輪相如是。清淨無邊難思議。我等咸復共稽首。歸命法輪轉以時」
 じゃら、じゃら、と数珠をまわす音と共に精妙な音律が部屋に響いた。
「稽首歸依梵音聲。稽首歸依縁諦度。世尊往昔無量劫。勤苦修習衆徳行」
「慈啓どの…」
「しっ!」
 甚八が呼びかけようとしたのを、悪五郎太は押しとどめた。周囲に別の気配が漂ってきた気がしたからである。
 五感を研ぎ澄まして、悪五郎太はその気配を探った。
 ふいに空間が重くなった気配がしたかと思うと、僧の頭上に黒い影が集まってくる。その中には稲妻のように紫の光状がしばし煌めく。
「爲我人天龍神王。普及一切諸衆生。能捨一切……ぬぐぉっ!?」
 黒い雲の中から赤く太い腕がにゅっと突き出てきたかと思うと、僧の首を掴む。
「慈啓どのぉぉーっ!!」
 僧は片腕で持ち上げられていった。顔を真っ青にさせながら両手で赤い手を掴み、己の首から放そうとさせるが、びくともしない。空中に浮かびながらばたばたと両足を動かす。
「いかんっ。慈啓どのっ」
 甚八が棒手裏剣を胸から抜くと、すかさず黒い渦の中へと投擲する。
 だが、それも効き目はなかったようである。
 僧は上半身までをその黒い雲の中へと入り込んでいった。なおも両足をばたばたと動かし続ける。

 ばりっ。
 ごぎっ。
 ばりばりっ。

 何かを砕く音がした。
 ぽたぽた、と赤い雫が畳へと流れ落ちていく。
 慈啓の両足は突如として動くのを止めて、ぶらりと垂れ下がった。
「慈啓どのおぉぉーーーーーーっ!!」
 ごとっ、と何かが落ちてきた。
 それは慈啓の禿頭の首であった。
 ころころ、と床の上を独楽のように転がると、恐怖に見開いた目を悪五郎太のほうへ睨みつけるかのようにして首は止まった。
 それを見たとき、悪五郎太の心の中で何かが壊れる音がした。



第三乃章 鬼の手、怪しげな印を描くのこと



「ぬっ……なんと……」
 甚八のあえぎ声がする。悪五郎太はようやく自分を取り戻して、甚八の見つめる方を見た。
 黒い霧から赤い足が伸びてきていた。
 畳へと降り立つ。
 さらにもう一つの足──赤い腕が二本──胴──
 悪五郎太と甚八の前に、一匹の赤鬼が四つんばいになって現れた。まるで熊のように巨大な相手に、悪五郎太は両手で握る刀に思わず力を込める。
『ぬしら……邪魔をするでない……』
 鬼は聞きにくい声で呻くように言った。
「おのれ。貴様が上様を悩ましたもうている鬼かッ。この悪五郎太が、成敗いたす!」
 がしゃん、がしゃんと鎧を鳴らしながら悪五郎太は鬼に向かって突進してきた。鬼はまるで相撲取りのように両手を広げると、その野太い腕を横凪に払おうとする。
 だが、その刹那──
「たぁぁーーっ!!」
 甚八が手裏剣を鬼に向かって投げる。それが鬼の腕に突き刺さり、一瞬鬼は動きを止める。そこに悪五郎太は突進していき、両手を高々と振り上げ──
「てやぁぁぁーーーッ!!」
 裂帛の気合とともに太刀を振り落とす。鬼は己の首を守ろうと右手で防ぐ。その右手の手首へと刀は突き刺さり──切り落とした!!
 鬼はわぉん、と哀しそうに啼くと、右手より鮮血を滴らせながら部屋の外へと走っていった。
「なにっ!?」
 鬼はどたどたと廊下を走っていったかと思うと、突き当たりの窓を突き破り、一気に跳躍する。
 城は三階の高さである。だが鬼は意にすることもなく、地面へとすたっと着地すると、そのまま夜のアマウラの街を突き進んでいく。
「悪五郎太どの!! ここは拙者にお任せをっ。上様をお頼み申す!」
 それだけ言うと、甚八は鬼を追うべく廊下を走っていった。さらに鬼が破壊した窓から躊躇せずに己も地面へ向けて跳躍する。
 悪五郎太は戦いのあとの倦怠感に襲われていたが、甚八の言葉にぶるりと体を震わせると、刀を鞘へと戻して将軍のもとへと走った。
「上様、ご無事でありましたかッ!?」
 将軍秀平はううっ…と呻いていたが、悪五郎太が傍へと近づいていくと、ようやく薄目を開けて、
「ご、五郎太か……鬼のほうは……どうしたのじゃ?」
「残念ながら討ち漏らしもうした。ただ右手を切り落として──」
 と、悪五郎太が鬼の手へと振り向いたとき、彼は見たのだった。
 赤鬼の手が畳の上で勝手にずるずると動いている様を。
「なんと!」
 悪五郎太は愕然としながら鬼の腕を見ていた。将軍も息を飲んで見ているのが気配でわかった。鬼は人差し指の長い爪に己の血を流しながら、なにかを書いている様であった。
 しばらくすると、鬼の手は精根尽き果てたのか、ぴくりとも動かなくなる。
 悪五郎太は立ち上がり、鬼の手の描いたものを見ようと近づいていった。
 そこには──
「これは!?」
 床に鬼が己の血で描いたもの。
 それは、紋章であった。丸と十字、さらに三角などが組み合わさった幾何学模様。そのまわりに何やら得体の知れぬ文字が並べられている。
 どさどさ、と宿直の武士たちが集まってきた。その先頭には管領大内大膳の姿も見える。
 大内は目の前で事切れている陰陽師と僧の死体に唖然とした様子だった。
 しかし、悪五郎太は大内が来たのも気づかないまま、目の前の印章をじっと食い入るように見つめる。
(この印章──見たこともないものだ。これを鬼が作ったということは──)
「バテレンの妖術かのぅ」
 大内の声がする。そこでようやくハッと気づき、慌てて頭を下げる。
「ええい、よいよい。今は非常時だ」大内が片手を振る。「この印章、おそらく我が国のものではあるまい。以前にクリスティアの輩と戦さになったとき、連中の文字で見たことがある」
「では……クリスタンの秘術と鬼とは何かの関わりがあると?」
「わからん。だが、その可能性はある」
 と、そこに甚八が姿を現す。
「駄目でござった。鬼め、まるで矢のような早さで逃げおる。西のほうへと消えていくのを見たが、ついに追いつけなんだ」
「なんと。その方のような早足でも追いつけんとは……」大内は絶句したようだった。
「では手がかりはこの印しかない……ということか」
 大内は部下に命じて印章を紙に清書させるように命じながら、悪五郎太と甚八に振り向く。
「その方たちは、即座に鬼を追ってもらいたい。おそらく手がかりは──」



第四乃章 ヴェイトスの魔女、印について語るのこと



 翌日の早朝、悪五郎太と甚八の二人はアマウラの街の西の隅にある出島地区へと足を運んでいた。そこは『西蛮人』の旅人や商人、居住者が集団で住んでいる場所である。しかし、かつてパプテス教のパードレ(神父)らによる反乱があったため、教会の人間はいない。幕府領ではパプテス教徒は迫害に耐え続けている身であった。
 いま彼らが向かっているのは、異人宿の一つであった。レッドドラゴン亭と呼ばれている。ここではアマウラではまず手に入らない異国の酒が飲めたりするので、トキノミヤコ人の中にもこっそりと来る客がいる。
 悪五郎太と甚八は宿へと入ると、一階は酒場となっていた。戸惑っている表情を浮かべた悪五郎太とは裏腹に、諸国を歩いている経験のある甚八のほうはスタスタと中へと入っていき、席の一つに座る。
「五郎太殿もこちらへ来なされ」
 甚八は悠々とした態度で告げる。悪五郎太は苦笑しながら反対側の席へと座る。
 だが、はじめて西洋の椅子、というものに座ろうとする悪五郎太は、随分と苦戦をしていた。
 その様子を面白そうに眺めながら、甚八は懐より紙を取り出す。そこには昨夜の鬼の印が墨で書写されていた。
「この印、ここに来る客ならば、知っている者がいるかもしれぬ……そう思ってきたのだが」
「さて、どうするつもりか?」
 二人がテーブルの上に広げた印を睨みつけていると、横から「その印は──」と呟く女の声がした。
 悪五郎太が振り向くと、そこにはウィッチハットに黒いローブを着ている魔女の姿をした女が立っている。女はまだ二十歳前後といったところであった。
「貴方達、これをいったい何処で?」
「女。そのほうは何者だ?」
 二人の視線が自分に注がれているのに気づいたのだろう。女はこほん、と咳払いをすると、
「私はスターブルームという名の魔女よ。ヴェイトス市出身のね。ちょっと本国で困ったちゃん達が騒いでいるから、こちらへ避難中の身ってわけよ」
 悪五郎太はその言葉を聞いて、何となく女の立場が理解できた。ヴェイトス市でいま魔女狩りの騒ぎがあることは耳にしたことがある。パプテス教徒が主導しているこの蛮行を聞くたびに、このような邪宗を幕府が禁教しているのがありがたく感じるものだった。
 おそらく女はその魔女狩りの難を避けるために、この街に滞在しているのだろう。ここアマウラでは逆にパプテス教徒のほうが弾圧されている。
「ふむ。で、この印であるが、名は明かせぬが、さる高貴なお方を悩ましている者と関わりがありそうなのだ」と甚八。
「これは……『シジル』だわ」
「しじる?」
「デーモンを呼ぶための印よ」
「でえもん、とは……?」
「貴方達の言葉で言えば、悪魔、よ」
「ふむむ。鬼とも関わりがありそうですな」甚八が悪五郎太に告げる。
「その方、この『しじる』とかいう物や悪魔について、もっと詳しく知らぬか?」
「……訳ありのようね」
「礼はする。場合によっては、そなたたちの同胞を幕府の力で助けることができるかもしれん」
 悪五郎太は頭をさげた。
「いいわ。ちょっと私の部屋についてきて」
 女が顎を二階の階段へと向けると、二人は黙って頷き、シジルの書かれた紙を片手に魔女の後を追った。
 
 女の自室へと二人が入ったとき、すでに魔女は部屋の真ん中で五芒星を描き、その真ん中で座り、精神集中をしていた。
「さあ、シジルの紙をこちらに持ってきて」
 言われたとおりに悪五郎太が紙を魔女に手渡そうとした刹那──
 急に、風がないにも関わらず、紙はひとりでに浮かんだかと思うと、その表面にうっすらと幻が浮かんでくるではないか。
「これは……?」
「おぅ。悪五郎太殿も見えるのか。ならばそれがしの目の錯覚では無かったようじゃな」
「ヴィジョンの魔法よ」とスターブルーム。「このシジルの持ち主の居場所を映し出すわ」
 幻視はやがて、縁が虹色に輝く中ほどに洞窟が浮かんできた。さらに少し視点が俯瞰していくと、洞窟のある山が浮かぶ。
「こっ、これは──」
「甚八!? 知っておるのか?」
「ああ。以前にこの山を見たことがござる。この街からさほど遠くではござらん」
「では……今から急げば」
「うむ」甚八は頷く。「さあ、悪五郎太殿、行きましょうぞ!」



第五乃章 鬼との最後の戦いを行うのこと



 悪五郎太と甚八の二人が目的の洞窟へとたどり着いたのは、すでに時刻が夕方へと差し掛からんとしている時であった。
 洞窟の前に立ったとき、悪五郎太は、鎧兜をつけ鬼斬りの太刀を腰に差していた。甚八はいつもの柿色の忍び装束のままである。
「悪五郎太殿、この奥に例の鬼が」
 さすがに甚八も不安の色を隠せそうにない。
「うむ」
 刀に手を置き、いつでも抜けるようにしている。
 と、洞窟の奥から足音がしてくるのを悪五郎太は聞いた。
「…………」
 静まりかえった中、響く足音──それは先ほどの鬼のものと比べて、はるかに小さなものだった。
 訝しく眉をひそめた悪五郎太の前に現れたのは、一人の武家ふうの若者であった。柳のようにほっそりとしている。
 右の手首は──ない。
「そなたは──」
「あなた方にはもうおわかりでしょう。それがしが、都を騒がしていた鬼の正体です」
「なんと」甚八はどう対処していいかわからずに、目を見開いていた。
「そなた、いったい──」
「復讐のため、といっても、あなた方には理解できますまい」
 悪五郎太はじっと男の顔を見つめていた。
「そなた……」
「かつて、幕府に忠実な一族がいました」若者は囁くように言う。「ですが、時の将軍は彼らが謀反を企んでいるのではないかと疑い、上意討ちを行いました。ですが、それは誤解──ですが真実が知れたときはもう、一族は一人の少年を除いて皆殺しに遭っていました」
「まさか、その生き残った少年が……そなただというのか?」
「さあ、それはどうでしょうね」若者は女のような唇をククッと歪める。
「少年は隠れクリスタンのパードレから魔術を習い、禁断の秘術を用いて自らを鬼と化していきました」
「…………」
「それがしは、今のアマウラ幕府が憎い」カッと目を見開き、二人を睨みつける。すると青年の頭から二本の角がにょきりと生えてきた!!
「父も、母も、姉上も、みな幕府の軍兵に……」
 めきめきっと身体が太くなっていき、その肌が赤くなっていく。
「相原秀平に取り憑き、くびり殺してくれるわッ」
 その時にはすでに悪五郎太は刀を抜き終え、両手で握ると突進を開始していた。
 甚八もまた、背中の忍び刀を抜き、片手で構えつつ疾駆する。
「御免!!」
 完全に鬼と化していた青年のもとへとたどり着くと、ただちに上段より斬りおろしていく。
 だが、鬼はそれを軽々とかわし、左手の五本の指で悪五郎太の首をつかもうと伸ばす。
 と、そこに──
「あぶないっ。てりゃあ!」
 甚八が忍び刀を咄嗟に鬼の腕へと投擲し、両手の指を胸の前で組むと印を結ぶ。
 鬼の腕には忍刀は軽く傷をつけただけであった。
 しかし、その隙にどうにか悪五郎太は鬼の手から逃れ、体勢を整える。
「その鬼、亡き土御門殿が火徳と喝破した。ならば、それに敵う五行は──水!! 忍法、水遁の術!!」
 甚八が印を鬼に向けると、指の先から大量の水が溢れ出てくるではないか。
「な、なんだと……」
 悪五郎太は唖然とする。鬼は洪水に巻き込まれまいと両手を振っているが、たちまちその姿を水の中へと消えていく!!
「悪五郎太殿、とどめをっ!! これはあくまで、忍びに伝わるまやかしの術。実際には少しも打撃を与えておりませぬぞっ」
 今風の言葉で言うならば、催眠術をかけているのにすぎない、ということである。
 甚八の言葉で、悪五郎太がハッとすると、そこには何もない空間を腕で左右に振って暴れている鬼がいるのみであった。
 水など、一滴もない──。
「承知つかまつった。鬼よ、覚悟せいっ!!」
 悪五郎太は刀を構え直すと、タッタッタッと走っていき跳躍。てやぁっ、と叫び刀を一閃させる!!
 振り落とした刀が鬼の首を跳ね飛ばし、胴体のみとなった鬼から大量の血が飛び散ったのだった。



 その夜。
 幕府のアマウラ城にて、鬼の首を持った悪五郎太と甚八が将軍秀平と謁見していた。
 将軍は鬼の首と対面するとすべてを悟ったのか、首を抱きながらはらはらと落涙したという。



 終わり



 あとがき

 いかにもありがちな時代伝奇ふうに書いてみました。
 トキノミヤコについても、ちょっと説明不足な気がしたので。
 この話は、まあまあ、というところかな。


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