夜は更けていく。
王宮でもスラムでも。
塔の上でも地下の牢でも。
あるいは、病院の一室でも。
「リベリウス様、リベリウス様」
キッシャーであり、パプテスの聖女であり、いかづちのルー
ンを身に刻まれた同族殺しでもある少女−キュイジーヌは、月
の光より青ざめた顔で、ベッドに横たわる主人を見下ろしてい
た。
唇は名を呼んでいるが、それも当人には無意識の行為。
視界に存在するのは安らかに−死のように安らかに眠る男の
姿。
見た目よりは鍛えられた胸板がわずかに上下していること。
規則正しい呼吸音。
少女にも、主人が生きているのは理性では理解出来ている。
だが、彼女の目に映る情景は、あまりにも死に近く。
彼女にとって、畏怖と敬愛と盲信の対象である彼の喪失は、
世界の終わり−黙示の具現に等しかった。
元々キュイジーヌは今夜、負傷からの回復の為もあり、主任
務から外されてある男女の監視と護衛を命じられていた。
その一人、男の方が宿に戻るのを待っていたら……その人物
が、酷い外傷を受けて戻ってきた。
加えて大聖堂の惨事。
主人が珍しくも、その怪我をしていた男を気に入っているの
は知っていた。
もし主人が無事なら、怪我をしたままの彼を一人で宿に帰し
たりはしないと言うことも。
……つまり。何かがあったのだと。そう理解した。だから。
だから、初めて命令を破り、男女の監視と護衛を放り出して
病院に来てみれば。
そこに血の気のない、死者にしか見えない主人の姿を目の当
たりにして……。
「リベ…リウス……様」
震える手を伸ばし、主人の体温を手に感じることで恐怖から
逃れようと剥き出しの喉と肩に指を掛けて、表情を作れなくな
った凍った顔で物言わぬ主人に語りかけようとして……。
「うるせえ」
と、叱られた。
リベリウスは不機嫌だった。とことん不機嫌だった。
大聖堂の一件は非常に彼の機嫌を損ねていたし、昨日から続
く疲労の蓄積も、彼の元々乏しい忍耐力を削り取り、マイナス
にまで追い込んでいた。
その上で、ベッドの中でのたうちつつ、さんざっぱら自分の
無能とふがいなさを呪い、やっとつい先ほど眠りの天使に抱か
れたかと思ったら……これだった。
こんな場所にいるはずのない少女が、世界の終わりでも見た
ような、不景気かつ辛気くさい顔で自分を見ている。
彼にしても、自分が怪我をして幸せそうな顔をされたい訳で
はない。
むしろそんな女には、泣いて後悔するような報いを死ぬ程与
えるだろう。
……だが。それとこれとは話が別であり、相手の事情や内心
より、自身の衝動を優先するのは、彼が彼である証のようなも
ので。
だから、怯えた小動物のように自分の様子をうかがうキュイ
ジーヌを片方の目を開けて睨み付け。
「うるせえ」
と、叱った。
……それから数分後。
窒息寸前まで首に抱きつかれたり、涙で服を濡らされたり、
一部の傷口が開いたりといった一連の儀式を終え、微妙にダメ
ージの増えたリベリウスが、やっと落ち着いて話の出来るよう
になったキュイジーヌと向き合い、会話らしきものをし始めて
いた。
「ほら触ってみぃ? 無事元気だから」
まだ心配している少女に、さあ来いと、両手の平で胸を叩い
て腕を広げるリベリウス。それに対し。
「ではお言葉に甘えて……失礼、いたします」
真剣そのものの顔で主の両頬に指を這わせてから、少女はキ
ッシャー特有の長目の舌を伸ばし、唇を割って口の中に潜り込
ませると、舌の付け根や喉の内側を慎重にたどり、ずるりと引
き戻して押し黙った。
あまりに深刻な横顔にリベリウスが。
「触診ならぬ舐診かい。キッシャーならではの技術だねぇ」
と、軽口を叩いた瞬間。キュイジーヌは沈痛な表情を隠そう
ともせずに主人の片方しか開けていない目を泣きそうな瞳で睨
み付ける。
「リベリウス様、おふざけにならないで。どういう事ですか、
これは。
確かにお身体の方は白魔法のお陰でほぼ無事ですが、魂の火
がこんなに弱って……敵にもしや同族が」
なら殺してきます、即時、と言いたげな少女に落ち着けと仕
草で示して。
「いや。単に奇跡使いすぎて空っぽなだけ。数日あれば回復す
るから問題ない。
それと。やっぱし俺の奇跡じゃ、自分の命より、他を優先す
る奴の傷治すの無理だった。そんだけ。
人間、満足したり諦めたりすると終わりだな。お前も気ぃ付
けろや」
救えなかった聖女のことを思い出して、はぁとため息。
リベリウスの起こす救済の奇跡は、救いを望まぬものや他者
のためなら自己犠牲を厭わないものに効果をもたらすことは出
来ないのだ。
それが限界。少なくとも、彼にとっての。
救いを求めるものだけしか、リベリウスには救えない。
そしてそれすらも、今夜は出来なかった……のだ。
「私のことなどどうでも……この身に宿る精気を差し上げられ
ればいいのに」
胸を手で押さえ、苦しげに俯く少女。その額を指でつついて
リベリウスが笑う。
「莫迦だなぁ、キュイジーヌ。それで減った分の精気、俺から
しか補充出来ないだろ。最近特に莫迦になってねぇか?」
言葉よりむしろ、力無い指の感触に怯えた顔で少女は再び詰
め寄り。
「リベリウス様っ」
「お前の仕事はあの面白夫婦の監視と護衛。命令は変更してね
ぇ、戻れ」
片目をぎらつかせ、冷酷な声で下される命令。彼女に取り、
それは絶対のもの……。
「私は、リベリウス様を心配してはいけないんですか」
……なのだが。普段の、命令を受ければそのままなにも言わ
ずに従う盲信ぶりとは裏腹に、キュイジーヌは珍しく食い下が
る。
彼女にしてみれば死活問題。と言うより、自身の存在理由に
関わるのだ。簡単に引けるはずもない。
少し前、あの同族−テイルと逢うまでの自分なら、それでも
言い返したりしなかっただろう、などと思えるような精神的余
裕もなく、勢い込んで問いつめていく。
「あんま心配されると、ベッドから這い出て、墓の下に逝かな
きゃならん気になってくる。
それにな……」
「それに?」
相変わらずの韜晦口調に気色ばみ、ついには詰問しそうにな
ったが、ちょいちょい、と、普通に手招きされれば、主人に対
して警戒心など持つはずもなく、不思議そうに顔を近づける。
そこに。
「最近のお前にゃ、憂い顔より笑顔が似合う」
「えっ? ん!……んっ、ぁぅ…くっ…ぁ」
予想外の言葉と行動で不意を打ち、リベリウスはキュイジー
ヌの唇を奪った。
正気を取り戻す余裕は与えず、そのまま鋭敏な感覚器官でも
あるキッシャーの舌を、嬲り、絡め、歯を立て。
自分の口に啜り込んでは唾液をまぶし、戻る舌と嚥下する喉
を指と舌で外と内の両方から挟むように刺激する。
構造を知り尽くした口内を欲しいままに蝕み、陵辱し、軽く
快楽の糸を弾いてキュイジーヌの意識を飛ばして。
くずおれた身体をベッドにすがらせた少女を、気持ち見おろ
して言葉を続ける。
「うーん。ちょっとだけキッシャー気分だな。つーかお前感度
良すぎ。
さ、行け。俺はここにきちんと生きてて、お前の主人してる
から。
お前は俺が拾って、俺が俺のために使い潰す、俺の所有物な
んだから。そうだろ?」
「そう…ですけれど……でも」
震える身を抱き、快楽の余韻に息を継ぎながら少女は言葉を
続けようとするが。
「なんだ? それともまたキスして欲しいん?」
「え?い、いえ。そうではなく。あ、して欲しくないって訳で
も……ずるいです、リベリウス様」
混乱し、頭を抱えるキュイジーヌ。恨みがましく見上げる目
。年相応の反応。
手を伸ばし、その髪を力無くではあるが優しく撫でながら。
「俺、昔からずるいよ? 今更なに言ってんの?
……あぁ、良いね。実に良い。お前やっぱ、最近莫迦になっ
たよ。
思い出すねぇ、ガキの頃の莫迦さ加減。
最初に人殺しした任務の後で、俺の法衣にゲロゲロ吐いたの
覚えてる?」
「あれは、その、あの……うぅぅぅぅ。
し、仕事戻ります私。今物騒ですし、紫電さんも酷い火傷し
てみえますし!」
思い返すも恥ずかしい過去をいきなり引きずり出されて、慌
てふためき話題を変えようとする少女。
巧いことリベリウスの手に乗せられたと気づくには、対人経
験が少なく。
「へぇへぇへぇ。ま、せいぜい仲良し夫婦にあてられて、知恵
熱出さないようにな。
……後。他の奴らに伝言。しばらく異教徒狩り、実行見合わ
せるから。
現地のやり方をある程度つかまねぇと、やぶ蛇になるかもし
れん。了解?」
馬鹿話の途中、ごく自然にリベリウスの雰囲気が変わる。
少女をからかう年長の保護者から、配下の命をチップ代わり
に、現実というルーレットを回す指揮者の顔に。
キュイジーヌもまた、主に忠実な配下に戻って醒めた声を喉
の奥から引き出して。
「了解いたしました。確かにこの地は本土のようには行かない
かと。
“いかづち”のキュイジーヌ、ただいまより任務に戻ります
。
……御身大切に、リベリウス様。神のご加護のあらんことを
」
そう宣言し、そのまま静かに病室を出て行った。
主人に尽くすことが自分の望み。生きる糧。すべてはリベリ
ウス様のためにと。
ドアを閉じ、意識を切り替え、瞳を煌めかせて少女は夜に身
を投じる。
その背後。
歩み去る女の背をドアが隠すまで見送り、濡れた唇を拭うと
、リベリウスは片方しか開けてなかった目を閉じた。
「キュイジーヌ、そろそろ聖女が出来なくなりそうだねぇ。
良いことなんだが、そのせいで死ななきゃ良いが。
あーいや、逆に聖女になりつつあるのか。そしてあっさりと
死ぬ。
人を優先し、自分を後回しにして……そのくせ、満足そうに
な」
わずか二度、顔を逢わせただけの聖女の顔を思い出し、しか
めっ面になって。
「さてはて、どーすっかな。やること多すぎてなにがなんだか
だ。
……ま、とりあえず寝るか」
考えることは山程あるが、今は少しでも早く力を回復しなく
てはならない。
何かを望むなら、それに見合う何かが必要になる。大抵の場
合、我を通すに足る力が。
だからリベリウスは眠り……夜は更けていく。
夜は更けていく。
王宮でもスラムでも。
塔の上でも地下の牢でも。
あるいは、病院の一室でも。
次に来る朝を迎えるために。
後記
神官リベリウスとごくごく一部に微妙な人気の背景キャラ、キ
ュイジーヌとの補完っぽいイベントを小説化してみました。
理性ではなく衝動が私に文章を書かせるのです _/ ̄|○
なお、時系列としては大聖堂襲撃の深夜、場所は医療ギルドの
中央病院、リベリウスの病室となります。